日本+αな国際共同製作映画が面白い、と思う今日この頃。その中でも、今いちばん気になるのは覚馬さん、じゃなくて、俳優西島秀俊さん。特にここ数年は、イ・ジェハン監督(韓国)の『サヨナライツカ』(2010年公開)、アミール・ナデリ監督(イラン)の『CUT』(2011年公開)、そしてオドレイ・フーシェ監督(フランス)の『メモリーズ・コーナー』(2013年公開)と、国際色のある映画が続いてます。
この3本の映画のうち『CUT』は西島さんが主演。映画への愛を表現した作品なのだと予告編を観て興味が湧いたのですが、「殴られ屋」って何?痛そうだなあ、インディペンデント色が強すぎてつらい映画かも…、とちょっと敬遠していました。が、iTunes Store
自然な日本語とちょっと懐かしいようなシチュエーション、大胆な構成、ラストがどうなるのかハラハラドキドキ。それでいて、日本と日本映画への愛、監督たちへのリスペクト、そして現代の映画環境への警笛ともいえるメッセージがしっかり伝わるという、不思議な作品でした。何かに熱くなるって悪くないというか、いいな、かっこいいな、大切なものは大切にしなきゃ、とそんな気持ちに。
同時に、こういう国際共同製作映画ってどうやって作るんだろう、例えば言葉の問題は?と気になったところ、映画の公式サイトにそこのところが詳しく書かれてました(アミール・ナデリからのコメント)。
私は日本語を一切話せませんが、日本では言葉の壁を感じませんでした。台詞も私にはあまり重要ではありません。映画を観賞する際、台詞はきちんと聞いていますが、自分の映画ではあまり言葉を使いたくありません。私にとって、台詞は物語を進ませるひとつの要素ではありますが、台詞なしのイメージでストーリーを語りたいと思っています。映画作りへの情熱は映像、動き、編集そして沈黙で物語を説明することです。『CUT』において沈黙は主役そのものでした。そういえば、この映画にはサイレント映画を建物の屋上で上映する、なんてシーンもあります。一方で、何人もの人が声を上げてるけど、何を言ってるかはあんまり重要じゃなくて、声に込められた感情だけが伝わってくるシーンも。
映画製作現場では通訳の手を借りて、スタッフやキャストたちと繋がりました。英語を解っている人も多かったと思いますが、日本人はシャイなのか、英語で返事をしてくれませんでした。私は撮影のとき、現場や雰囲気が大切だと思います。互いの信用は約束や言葉では生まれません。監督が映像で何を言いたいのか、それをどう伝えるのか、それを実感して初めて信用が生まれるのです。このマジックがいつ起こるのか誰にも誰にもわかりません。『CUT』にもこのマジックが起きました。その後、あまり言葉を交わさなくても、お互いの言葉を理解できました。ひとつの目線、仕草、無言でもコミュニケーションがとれるようになったのです。
ところで、アミール・ナデリ監督はこの作品の脚本も担当していますが、こういう場合、どうやって日本語の脚本にまでいたるんだろう?と疑問に思ったところ、そこのところもインタビューの中に書かれていました。
この映画の脚本は親友であるアボウ・ファルマンと英語で書き始めました。彼はカナダに住むイラン人でビデオアーティストであり詩人です。しかし、私はペルシャ語と日本語のニュアンスが近いことに気付き、脚本をペルシャ語に書き直しました。脚本は日本語に訳され、TOKYO FILMeXのプログラマーである市山尚三さんが青山真治監督を紹介してくださり、彼に脚本の監修をお願いしました。私は青山監督の『ユリイカ』を観ていました。素晴らしい作品です。青山監督とこの映画を通じて知り合えたことはとても喜ばしいいことでした。ペルシャ語と日本語のニュアンスが近い、っていうのが面白いところ。イラン映画『運動靴と赤い金魚』を観て懐かしさのようなものを感じたのは、言葉のひびきも関係あるのかな、と思ったり。
とまあ、国際共同製作映画というのは、あれこれ気になる存在です。
関連リンク
映画『CUT』オフィシャルサイト
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