2013年9月21日土曜日

けれどもさんの思い出 a memoir of M. Keredomo

ひさびさの更新になります。この夏は机の上を離れてみて怒濤の体験をしました。能登のとあるカフェのお仕事をすこおしお手伝いさせていただいただけなのですが、わたしの中のふるさと探訪というか、ディスカバー・地元というか、なにかのスイッチが完全にオンになってしまい、そんな自分にふらふらになりました( -e-)

もともと文化が交わるような場所が好きなんだと思いますが、そのカフェはわたしにとってまさにそういう場所で、妙な引力にとまどいつつ、さらには夏の暑さが加わってオーバー・ヒート状態。秋の気配を感じる今、すこおし落ち着いてきましたが、もう淡々とTOEICの受験勉強をしてた頃には戻れなさそうです。

と、ローカルな集中力を使いはじめて、新聞やテレビの情報をほとんど頭にいれられない状態な中、気になっているのは、2015年(平成26年度末)に予定されている北陸新幹線の開業と2020年の東京オリンピック。何が起こるのかはわかりませんが、人の流れは相当変わるだろうし、そうなった時に必要とされるスキルってなんだろう、とぼんやり考えています。

そして今、なぜかしみじみと最近思い出すのは、わたしが小学生の時、うちにホームステイしていったフランス人のこと。かれこれ30年前とかになるのかな…。日本語が堪能で、かならず「けれどもー!」から話をはじめるその人のことを、わたしと弟は「けれどもさん」と呼んでいました。

本当は近所の別の家にホームステイするはずだった、けれどもさん。残念ながらそのご家族は彼とのコミュニケーションがうまくいかず、うちの母に助けを求め、そして急遽うちに滞在したようです。心の準備がなかったわたしと弟は、人見知りとはじめて見る西洋の人がこわくて、ほとんど彼と話せませんでした。

そう、けれどもさんは「日本語」を話していた、そこはなんとなく記憶に残ってます。でも母とけれどもさんのコミュニケーションもいまひとつだったようで、子供ながらにそれを感じたわたしは、けれどもさんのためにクレープを焼きました。で、けれどもさんはすごく喜んで食べてくれて、その笑顔が嬉しかった、かすかな記憶があります。

この遠い記憶から思うのは、日本に来る外国の人は「日本語」を話す可能性があるということ。もしかしたら今、オリンピック東京開催に向けて、日本語を学びはじめる外国の方がいるかもしれません。そして「日本語」だからこそ、コミュニケーションが難しく感じられることがあるかもしれないということ。母国語はやっぱり独特の響きを持つと思うので。

また、同時に、国際語というか、世界の共通語的何か、がますます重要になる気がします。現時点でわたしが気になるのは英語の進化形?である、plain EnglishやGlobish。あと個人的には何かとご縁があるフランス語を少々。

でもコミュニケーションはもちろん言語だけじゃないわけで。時には一枚の写真が、一杯の珈琲が、多くを語ること、あるんだろうなあ…。

追記: FBページ、作ってみました。内容についてはまだ試行錯誤中ですが、とりあえずブログを更新したら、FBでチェックできるようにしていく予定です。 https://www.facebook.com/studylanguagesathome

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