2014年4月26日土曜日

伊坂幸太郎『魔王』『モダンタイムス』『ゴールデンスランバー』


翻訳の勉強をやってみればみるほど思うのは、自分のボキャブラリーは乏しいってこと。辞書をひけばひくほど思うのは、漢字って難しいこと。というか、かなり忘れてて、書けない、読めないっ、キィー!と自分が猿になったかのような(ユアグローの短編の余韻)トホホ感が。

というわけで、日本語を補充してみることにしました。で、何を読もうかと思ったときに出会ったのが、柴田元幸先生のこのアドバイス。
Q.翻訳家を目指す人へのアドバイス

日本語でも英語でも、好きなものをたくさん読むことに尽きるのではないでしょうか。好きでもないことを努力しても、言葉については身に付かないと思うので。面白い本を見つけるには、最近はインターネットでずいぶん情報が得られますが、結局もともと自分が興味を持っているものしか見つからない気がする。できれば現地の書店に行って、あまり知られていない良い本を、手に取りながら探すのが理想ですね。(言語をほどき紡ぎなおす者たち───海外文学界の第一線で活躍する翻訳家9名の仕事場を訪ねて vol.1 <柴田元幸/きむふな/野崎歓> - webDICE
好きなものをたくさん読む。これって当たり前な感じもしますが、じゃあさて、どんな文章が好きか、例えば小説だったらどの作家が好き?と自問してみると、難しい。どうも、昨年TOEICの勉強をしようとした時点で更新がとまっています。

とにかく、よし、読むぞ!と図書館へ行き、いつもチェックしているよしもとばななの棚をチェック。彼女の作品は図書館に入ってない新作をのぞいて、どうやら全部読んでることを確認。石田衣良と山田詠美は、5年ほど前までは好きだったはずが、なんかずれてきた感あり。三浦しをんは『舟を編む』も『神去なあなあ日常』もよかった要注目の作家さん。大事にちょっとずつ読んでいくつもり。池澤夏樹は好みの作家さんで、読んでない新刊がいくつかあることを確認したものの、今は気分じゃないなあ。

で、伊坂幸太郎のところで、ああ、と思いました。この人の小説、大好きなのに、読んでない作品が大量にあります。うーん、どれから読もうか、と迷ってるうちに、エッセイを発見したのでまずはそちらから。『3652―伊坂幸太郎エッセイ集』はなんと、この作家さんの唯一のエッセイなのでした。緻密な構成の小説を書くこの方、実はエッセイは苦手、だそうで、無理矢理書いてる感がファンにはかえってたまりません。

どの小説から読もうか迷うあまり、まずこの人の作品を発行順に並べてみることにして、ブクログでまとめをつくってみました。

伊坂幸太郎の小説

アヒルと鴨のコインロッカー』を読まずに映画で観てしまったのをのぞくと、内容を知らない作品で一番新しいのは『魔王』です。

一気に読みました。ちなみに、作者もこの作品は一気に書いたそうです。超能力を持った個人と社会、あるいは国家権力のおはなし。時代の空気感を書くのがこの人はほんとうまいなあと思います。

あまりに面白かったので、この作品への他の人のレビューをブクログで読んでいると、『モダンタイムス』が続編にあたるということがわかりました。ので、次は『モダンタイムス』を読みました。最初は図書館の本で。続きはiBooksで。

これも個人と大きな流れの話ですが、時代は近未来。システムをつくってるつもりが、システムに狙われるようになったシステムエンジニアのお話。ちっとも未来な感じがしないなあ、と、ケチをつけつつも、またもや一気読み。図書館で借りればよかったのに借りずに帰って、でも読みたくなって、iBooksを利用してしまいました。多少、残像が残る感じがありましたが、先が知りたくなって、読んでしまいました。連載ものだったからこそ、そういう読み方があっていたのかもしれません。

『モダンタイムス』と同時期に書かれた、そして似たテーマの書き下ろし作品が『ゴールデンスランバー』。首相暗殺の濡れ衣を着せられた男が逃げて逃げて逃げまくるお話、というと、アメリカ映画にありそうなテーマですが、伊坂幸太郎の手にかかると、なにかほんわかと仙台の街のほのぼのとした人間関係の空気感がただよいます。巨大な監視システムの陰謀をかいくぐって個人を助けるのは、学生時代の友情。生身の人と人との信頼関係。味のある人物がたくさん出てきます。ちょっと切ないラストでした。

ああ、面白かった!小説は生きる活力になりますね。

ところで、英語で読む村上春樹、ならぬ、英語で読む伊坂幸太郎、ができたら素敵だなあと、ざっと調べてみたところ、英訳されているのは『ゴールデンスランバー』だけでした。英文版のタイトルは、"Remote Control"となってます。

(英文版) ゴールデンスランバー - Remote Control

2014年4月25日金曜日

バリー・ユアグロー『ハッピー・バースデイ』 "HAPPY BIRTHDAY" by Barry Yourgrau

翻訳教室 』に続いて、『柴田元幸ハイブ・リット』を淡々と訳すことにして、というのはすでに書きましたが、とにかくまずは最初の作品を訳してみました。バリー・ユアグローという作家の超短編で、"HAPPY BIRTHDAY"。

『柴田元幸ハイブ・リット』では、それぞれの作品の前に、柴田先生による短い作品紹介があります。で、今回の場合は、バリー・ユアグローの超短編はほとんど全部現在形で書かれていること、現在形の語りは一般的に過去形に比べて先行きが見えない感覚が強まるけれども、バリー・ユアグローの現在形は一瞬先にはどんなことだって起きうる、夢の世界と直結した現在形であること、など、とにかく「現在形」について書かれています。

が、ぼおっとそこをななめ読みして"HAPPY BIRTHDAY"の英文和訳をはじめ、物語に夢中になってしまったわたしは1パラグラフ訳してからその英文が全部現在形で書かれていることに、でも訳文は、全部過去形にしてしまったことに、気がつきました。この内容なら、普通は過去形だよね、となんとなく過去形にしてしまったことが、我ながら恐ろしいです。

気を取り直して現在形に直してみると、物語の緊迫感というか、ドキドキワクワク感がぐぐっと高まったのがよくわかって驚きました。過去形だと、
一匹の猿がバースディ・パーティを開こうと思い立った。ケーキやカラフルな帽子や騒々しい鳴り物がある本物のパーティだ。動物園にやって来る子供たちがいつも自慢しているようなバーティを開きたかった。ほかの猿たちは大笑いした。
「バースディ・パーティーだって?」と、猿たちは素っ頓狂な声を上げた。「ばかかおまえ?自分が猿だってこと忘れたのか?」
と、よくある子ども向けの動物のお話、な感じですが、これを現在形にすると、
一匹の猿がバースディ・パーティを開こうと思い立つ。ケーキやカラフルな帽子や騒々しい鳴り物がある本物のパーティだ。動物園にやって来る子供たちがいつも自慢しているようなバーティを開きたい。ほかの猿たちは大笑いする。
「バースディ・パーティーだって?」と、猿たちは素っ頓狂な声を上げる。「ばかかおまえ?自分が猿だってこと忘れたのか?」
と、なんだか脚本を読んでるような感じというか、自分も物語に参加しているような感じがでてきます。

で、もちろん作者はこの現在形の効果をよくわかっていて、物語の最後には読者も登場!?することに。
というわけで猿は悲しいし、私も悲しいし、あなたも悲しい。
訳し終わり、あー、わたしも悲しいことにされちゃったよ、バナナでも食べようかしら、なんて気持ちになったところで、そう、これはCDブックだし、と、作者の声というか、朗読を聴いてみると、バリー・ユアグローがぐっと身近に。一緒にみんなで悲しくなってオシマイって、洒落てます。

読み物としては、この超短編、もちろん短いけど、朗読で聴くにはいい長さかも。大人のための絵本ならぬ、大人のための朗読劇です。


NASTYbook
たちの悪い話

2014年4月18日金曜日

柴田元幸編・訳『柴田元幸ハイブ・リット』


この一ヶ月ほど、平日は毎日1時間づつ、柴田先生(一度お会いしただけですが、こうよぶことにしました)の『翻訳教室』の課題を訳してました。起きてすぐ珈琲を飲みながら、ぼおおっとした頭で辞書をひき、英語も日本語も紙に鉛筆でコツコツ書き込みます。面倒といえばこの上なく面倒な作業だったはずですが、一ヶ月も経過すると習慣になるらしく(というのは、どこかの心理学の先生も言ってたはず)、課題を全部訳し終えてしまった今日の寝起きはなんだか物足りなく、また、この種の禁断症状がくるだろうなあと予測もしていたのでしばらく前から次の課題を探してました。

翻訳をもっと身につけたい、という目的ももちろんあって、じゃあ、ニュース翻訳とか別の分野に挑戦してみようかとも思いましたが、調べてみると、柴田先生の翻訳書はポール・オースター以外にもたくさんあり、アンソロジーになってたり講義形式になってたり、するものもちらほら。

短めの文章を訳して、柴田先生訳とつきあわせるのがいいかも、と、選んでみると、『柴田元幸ハイブ・リット』と『生半可版 英米小説演習』あたりがよさそうだったのでどちらも入手。このうち、『柴田元幸ハイブ・リット』は複数の作家の文章と柴田先生訳の文章が見開きになっていて、しかも、作者が自分の作品を朗読したCDがついてます。ちなみに、出版社はアルク。小説が音楽だとしたら、このCDは作曲者による演奏みたいなものといえるかも、な、なかなか貴重な音源です。

英語教材としては、読んでもよし、聴いてもよし、音読してもよし。そしてもちろん、翻訳して柴田先生の訳と比較して味わってもよし。収録作家は、Barry Yourgrau, Rebecca Brown, Kelly Link, Stuart Dybek, Steven Millhauser, Paul Austerです。オースターファンのわたしとしては、オーギー・レンのクリスマス・ストーリーの朗読が作者の声で聴けて、しかも柴田先生訳が読めるなんて!とうっきゃあな喜びに満ちた本です。といっても、声を聴くのは最後のおたのしみにとっておくことにして、まずは翻訳翻訳。

翻訳教室 (朝日文庫)
生半可版 英米小説演習(朝日文庫)

2014年4月17日木曜日

レベッカ・ブラウン "Heaven" を和訳してみた。 tried to translate "Heaven" by Rebecca Brown into English.


  ちびちびと続けてきた『翻訳教室』、とうとう最後の課題になってしまいました。レベッカ・ブラウンの『若かった日々』という本の中から、"Heaven"。

「私」の想像する天国は二つあって、ひとつには女性が、もうひとつには男性が登場。で、実はこの二人は「私」の両親の若い頃の姿で、と、シンプルな文章で情景と人物の描写が続きます。そして最後に「私」の願いが仮定法で語られて終わり。シンプルな文章が口語的に続いた場合、そのリズム感も含めてどう訳すのかを考えさせられ、で、仮定法の日本語訳は難しいなあ、と実感したところで終わりました。

難しい単語は全く出て来ないし、文法的にも単純で、英語のままただ読むんだったら読み流してしまいそうな文章ですが、翻訳してみると、ぐっと味わいが出て来るし、あれこれ工夫のしがいがあるんだよ、と教えられた感じです。翻訳は英語の理解だけでなくて、日本語力だというのも、『翻訳教室』の課題をこなすにつれ、身にしみてよくわかるようになりました。こういう時、日本語だとなんていうんだろう、なんていうのが一般的なんだろう、と、よく考えるようになりました。

それと同時に、こういう場合、英語だと他にどんな表現があるのかな、とか、あえてこの表現を選んだ理由は何なんだろうなあ?と考えるようにもなりました。そのあたりの連想がすっと出て来るようになると、英文の特徴を活かした日本語文になるんだろうなあと。

とまあ、今回は、『翻訳教室』終わっちゃう!、というややセンチメンタルな気持ちがまさってしまい、レベッカ・ブラウンの文章にはいまひとつ入り込めなかった感があります。でもこの、読んでても水のようにすーっと通り抜けていってしまうのが、この人の文章の特徴なのかも。ちなみに、柴田先生のレベッカ・ブラウン紹介文は次のようになってます。

レベッカ・ブラウン Rebecca Brown (1956-)
 男女間・女女間の烈しい愛を幻想的に描いた作品にせよ、エイズ患者や自身の母の看護体験に根ざした作品にせよ、ほとんど呪文のようにシンプルな文章で読み手を魅了する作家。作品にAnnie Oakley's Girl(City Lights, 1993)など;邦訳に『体の贈り物』(柴田元幸訳、新潮文庫)など。


若かった日々

The End of Youth

2014年4月14日月曜日

小説と音楽 novels and music

最近ずっと、好きな小説はなぜ好きなんだろう、好きな翻訳はなぜ好きなんだろう、というようなことを考えていたところ、次のような文章に出会って、そっか、結局は音かも、とかなり納得しました。
最近、思うのですが、「映画と漫画」は映像を「見せてしまう」という点で同じジャンルですが、そういう意味で言うと、「小説」は「音楽」の仲間ではないでしょうか?  映像はないので、自分で想像するしかありません。言葉によってイメージが喚起されて、リズムやテンポを身体感覚で味わう、という点で、同じような気がします。書かれている(もしくは歌われている)テーマなんてどうでもいいんです。読んで(聴いて)、ああ気持ちよかった、と思えるものが最高なんじゃないでしょうか。(伊坂幸太郎『3652』p.49)
小説は音で楽しむ、というのは、音の好みはもちろん、もしかすると個人差があって、テーマや意味がやっぱり重要、っていう人も中にはいるのかもしれない、と想像しますが、すくなくともわたしはかなり音重視な楽しみ方をしているような気がします。というのは、音楽と小説はなかなか一緒にたのしめないし、音楽を聴きながら文章を書く、というのも苦手。

『翻訳教室』での柴田先生のコメントを読んでると、かなりこの「音」が重視されているのがよくわかります。意味を正確に訳すのはもちろん、原文のリズムやテンポも再現しようとする翻訳。小説が楽譜だとしたら、翻訳家は外国語の音のルールに従ってその小説をアレンジする、編曲者のようなものといえるかもしれません。

んー、面白い。そしてムズカシイ。

翻訳教室 (朝日文庫)

2014年4月11日金曜日

リチャード・ブローティガン『太平洋のラジオ火事のこと』を和訳してみた。tried to translate "Pacific Radio Fire" by Richard Brautigan into Japanese.

アリの非業の死の物語の次の課題は、リチャード・ブローティガンによる、傷心と海と燃えるラジオのお話でした。基本的にごくありふれた単語しか出て来ないのですが、そういう場合は日本語にも対応する言葉がたくさんあったり、そもそもシュールというか幻想的というか、日常的な非日常、柴田先生いわく「ポップな非リアリズム」な文章なため、何が起こっているのか見極めるのが結構難しかったです。知ってるつもりの単語が並んでても、句動詞になってたり、クリシェ(決まり文句)になってたり、意外な意味になることもあるわけで、油断大敵。

といってもすごく好きな文章で、訳すのも楽しかったです。そして柴田先生が絶賛する藤本和子さんの訳も紹介されていて、その訳がほんとすばらしい。わたしの中ではこれまで、柴田先生の訳がベストだったのですが、リチャード・ブローティガンのこの文章については、藤本和子さん訳のほうが好みとなりました(『翻訳教室』では、生徒の訳例と、藤本和子さんの訳と、柴田先生訳を比べ読みすることができます)。

そんなわけで、リチャード・ブローティガンの代表作『アメリカの鱒釣り (新潮文庫)』(もちろん、藤本和子さん訳)を衝動買い。60年代のヒッピーなアメリカを想像つつちびちびと読んでます。読み終える頃にはわたしの中のアメリカのイメージが変わるかもしれない、そんな気がする読書です。

と、「アメリカ」を意識させるのもブローティガン作品の特徴なのかもしれません。『太平洋のラジオ火事のこと』ではアメリカのホコリ(誇りではなく、埃です)についてまで考えさせられましたし、『アメリカの鱒釣り』はタイトルにまで「アメリカ」が入ってます。

そもそもわたしにとっての「アメリカ」って、10代では『赤毛のアン』『大草原の小さな家』、20代はポール・オースター、30代はヘミングウェイ。40代はhuluでたっぷりドラマは観てるものの、文学からすると知ってるようで知らない国だなあ、ということに気がつきました。

ってことは、もしかするとすごおく気の合う作家さんを見つけられる可能性も多々あるわけで。というのが、英語や翻訳を勉強するモティベーションになってます。翻訳ってほんと、深く物語の中にダイブするのにいい方法ですね。

REVENGE OF LAWN

芝生の復讐 (新潮文庫)

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

Trout Fishing in America

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