2013年9月27日金曜日

イタリア人は手で話す? Do Italians talk with hands?

最近、家での珈琲、特に朝の一杯目の珈琲を丁寧めに淹れるようになりました。たった一杯でも丁寧に淹れると味も香りも違うし、お湯を沸かす瞬間からちょっとした目覚めの儀式みたいになってます。

そんな中、よく思い出すのが、約20年前、イギリス、オックスフォードのとある語学学校の女子寮に滞在してた頃の日曜日の朝の時間。学校は休みなので、各自思い思いの時間に起きて来てくるのですが、たいていドイツ人とドイツ系スイス人は早起き。その次はイタリア人、その後がスペインとフランス人だったかな?たぶん、10人以上いたはずですが、キッチンをシェアしてても混雑が起きることはなく、だいたい同じ時間帯は同じメンバーで珈琲をすすりながらおしゃべりしてました。

で、ほとんどの人がキッチンに置いてあったインスタント珈琲を飲む中、イタリア人の女性だけは、必ずエスプレッソメーカーを使ってました。当時のヨーロッパは不景気(recession)で、女子寮の学生たちもみんななるべく自炊して倹約し、英語を学んでいたわけですが、彼女にとってはこの朝の珈琲はゆずれないもの、人権に等しかったのかも。と、保留コーヒーのことを知った今は思います。

そしてこのイタリア人女性は、ほんと、会話上手で、日曜日の朝にキッチンで彼女の話をきいて、涙が出るほど笑ったのを覚えてます。彼女はボキャブラリーが豊富なわけでも、英語が上手なわけではなく、学校のクラスも、初級に近いレベルに分類されてましたけど、彼女が話だすと何かパーッと話の景色がみえて、それをその場のみんなが共有して大笑い。

イタリア人は手で話すってきいたことありますけど、たしかに彼女は手を使い、というかもう、身体全体で話してました。そしてさらに声が明るくて、と、あの日曜の朝の時間はわたしにとって、かけがえのない思い出になってます。

そして、あの女子寮のことを思い出すと、世界の人々とコミュニケーションするのに必要なのは語学力だけじゃないんだなあ、としみじみ思います。だって、あそこにいた様々な国の人たちの英語は英語としては不完全だったわけで。それでも一緒に生活できてたし、たくさん話をしたし、仲良くなっていい時間を過ごせたし。

当時のわたしは「英語はイギリス人から学ばないと!」なんて固定観念にしばられてましたけど、世界の共通語として英語を選ぶような場合はむしろ、イタリア人の陽気さや手の動き、スペイン人の歌、ブラジル人の踊り、ドイツ人やスイス人の几帳面さ、アフリカ人のおおらかさ、などなど、多様性とセットになった環境で英語を学べたのがなんとも貴重な経験でした。

ちなみに日本人であるわたしはというと、あのキッチンではもっぱら聞き役でした。でもそういえば、親子どんぶりを作って食べてたらみんながよってきて、いい香りだね、美味しいね、って食べてたような記憶が。日本人はというか少なくともわたしの場合、会話そのものよりも、何か作っちゃってコミュニュケーションするタイプなのかもしれません。

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2013年9月24日火曜日

サルの通訳さん a interpreter of monkeys

以前、心理学の研究室にいたとき、イギリス人の研究者さんとよく話す機会がありました。同じ心理学でもわたしは人間を専門にしていたのに対し、その人は動物の心理を専門にしていて、特にサルの研究ではたぶん、世界的権威みたいな人だったはずですが、ちっとも偉そうではなく、わたしの実験の被験者までしてくれたり、と親切な方でした。

サルに詳しいその人は、とある映画でサル専門の通訳としてよばれたこともある、なんて話もしていました。その時は単になるほどさすが専門家!と思って聞いていましたが、今思うと、サルはサルで、いろんな鳴き方や行動パターンがあって独特のコミュニケーションの仕方があって、そこをその人はよく知っていたんだろうなあ、と想像します。

イギリスの人で母国語は英語なその方、フランスにもよく行っていて、フランス語も堪能でした。で、日本語はというと、時々びっくりするぐらいスバラシイ発音ながら、あんまり話してるのは聞いたことがありません。でもなぜか、研究室にとけこみ、他の大学院生たちともばっちりコミュニケーションしてるようにみえて、すごいな、と思い、「日本語は難しくないですか?」と訊いたところ、「人間同士だから大丈夫ですよ。顔みてればわかります。」のような答えが返ってきて、ますます尊敬。

そしてたまたまかもしれませんが、同じ研究室内でも動物心理学部門の先生や学生たちって、コミュニケーションに寛容というか、言葉にたよりすぎないというか、非言語コミュニケーションが上手な人たちが多いのかも、とも思ったのでした。

ちなみに、その人に言語学習のコツをきいてみたところ、「ラジオよりテレビのほうがいいですね。顔がみえるから。」と言ってた記憶が。これは言語学習というより、異文化あるいは異種間コミュニケーションのコツといったほうがいいかもしれません。コミュニケーションは言葉だけじゃないし、むしろ言葉以外が重要なこともあるわけで。

そして今、猫と暮らしているわたしは毎朝、NHKBSプレミアムの岩合光昭の世界ネコ歩きminiをみて、猫に対する理解を深めています。特に「猫識」のコーナーが勉強になります。

もっとわかりたいな、猫語。で、猫に学ぶことってきっと、多いんだろうな。

2013年9月21日土曜日

けれどもさんの思い出 a memoir of M. Keredomo

ひさびさの更新になります。この夏は机の上を離れてみて怒濤の体験をしました。能登のとあるカフェのお仕事をすこおしお手伝いさせていただいただけなのですが、わたしの中のふるさと探訪というか、ディスカバー・地元というか、なにかのスイッチが完全にオンになってしまい、そんな自分にふらふらになりました( -e-)

もともと文化が交わるような場所が好きなんだと思いますが、そのカフェはわたしにとってまさにそういう場所で、妙な引力にとまどいつつ、さらには夏の暑さが加わってオーバー・ヒート状態。秋の気配を感じる今、すこおし落ち着いてきましたが、もう淡々とTOEICの受験勉強をしてた頃には戻れなさそうです。

と、ローカルな集中力を使いはじめて、新聞やテレビの情報をほとんど頭にいれられない状態な中、気になっているのは、2015年(平成26年度末)に予定されている北陸新幹線の開業と2020年の東京オリンピック。何が起こるのかはわかりませんが、人の流れは相当変わるだろうし、そうなった時に必要とされるスキルってなんだろう、とぼんやり考えています。

そして今、なぜかしみじみと最近思い出すのは、わたしが小学生の時、うちにホームステイしていったフランス人のこと。かれこれ30年前とかになるのかな…。日本語が堪能で、かならず「けれどもー!」から話をはじめるその人のことを、わたしと弟は「けれどもさん」と呼んでいました。

本当は近所の別の家にホームステイするはずだった、けれどもさん。残念ながらそのご家族は彼とのコミュニケーションがうまくいかず、うちの母に助けを求め、そして急遽うちに滞在したようです。心の準備がなかったわたしと弟は、人見知りとはじめて見る西洋の人がこわくて、ほとんど彼と話せませんでした。

そう、けれどもさんは「日本語」を話していた、そこはなんとなく記憶に残ってます。でも母とけれどもさんのコミュニケーションもいまひとつだったようで、子供ながらにそれを感じたわたしは、けれどもさんのためにクレープを焼きました。で、けれどもさんはすごく喜んで食べてくれて、その笑顔が嬉しかった、かすかな記憶があります。

この遠い記憶から思うのは、日本に来る外国の人は「日本語」を話す可能性があるということ。もしかしたら今、オリンピック東京開催に向けて、日本語を学びはじめる外国の方がいるかもしれません。そして「日本語」だからこそ、コミュニケーションが難しく感じられることがあるかもしれないということ。母国語はやっぱり独特の響きを持つと思うので。

また、同時に、国際語というか、世界の共通語的何か、がますます重要になる気がします。現時点でわたしが気になるのは英語の進化形?である、plain EnglishやGlobish。あと個人的には何かとご縁があるフランス語を少々。

でもコミュニケーションはもちろん言語だけじゃないわけで。時には一枚の写真が、一杯の珈琲が、多くを語ること、あるんだろうなあ…。

追記: FBページ、作ってみました。内容についてはまだ試行錯誤中ですが、とりあえずブログを更新したら、FBでチェックできるようにしていく予定です。 https://www.facebook.com/studylanguagesathome

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