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2014年6月8日日曜日

Lang-8で英作文と仏作文、日本語の添削 English and French compositions, and Japanese corrections on Lang-8



Duolingoで鍛えられるのは語学の翻訳力と瞬発力のようなもの。その言語の基礎的な語彙と文法が学べます。が、語学の4つの基本要素、読む、書く、話す、聴くのうち、「書く」と「話す」の自発性というか、その人らしく言葉を組み合わせる部分までは対応できていません。

自分で書いた文章の正しさをチェックしてくれるサービスには、英文だと例えば、Gingerなどの機械翻訳ならぬ、機械的校正サービスがあります。Gingerは文法だけでなく、前後の文脈から判断して、ミスがないようにしてくれるそうですが、その結果が本当に英文として自然な文章なのかは微妙。また、文章を直してもらっても、どうしてそう直したほうがよいのか理由がよくわからないことがあります。

英文や仏文を書く練習をするには、独学とは別に誰かにチェックしてもらったほうがいいかな、と思い始めたところ、Lang-8という相互添削サイトを見つけました。日本語学習中のユーザーの文章を添削するとポイントがもらえ、ポイントがたまるほど、自分が投稿した外国語の文章(無料アカウントでは二カ国語まで)が目立ち、添削してもらいやすくなる、という仕組み。

他にも(添削してくれて)ありがとうポイントとか、ナイスな添削ポイントとか、要は、1.たくさん添削した人、2.添削スキルが高い人、3.感じがいい人、ほど、自分が書いて投稿した文章を添削してもらいやすくなります。ちなみに、添削できるのは、自分の母国語のみ。

というわけで、じゃあせっせと添削しよう♪と、とにかくやってみました。昨日一日で、英語ネイティブ、中国語ネイティブ、クメール語ネイティブ、イタリア語ネイティブ、ドイツ語ネイティブ、ロシア語ネイティブの人の日本語を添削。いろいろな内容の文章が読めて面白かったですが、これだけやるとかなり時間がかかりました。

そして母国語ながら、日本語の正しさの判断は結構微妙な問題というか、論理的に説明するのは難しいことが多いなと気づきました。わたしは日本語の先生ではなくて、単なる日本語ネイティブ。かなり感覚的な添削となります。

自分の添削スキルが低いと「ナイスな添削ポイント」はたまりにくいかもしれませんが、それはそれでいい経験。添削してもらう上での期待値というか、先生ではないけどネイティブな人にはどこまで出来るのか、を感覚的につかめたような気がします。それに、同じ文章を他の人も添削してくれる可能性があるので、そんなに気負わなくても大丈夫なよう。

英作文と仏作文のほうはというと、ごく簡単で短い自己紹介程度のものを3つアップしたところ、その日のうちに添削してもらえて有り難かったです。でも正直、日本語の添削を次々こなしつつ、英語やフランス語でなにか発信しようという気持ちにはあまりなりません。

ちなみに、とにかく自分の文章を添削してほしい!という人のためには、有料のプレミアムサービスもあります(月7ドル)。プレミアム会員になると、自分の投稿が優先的に表示されて目立つようになる他、広告表示がなくなるなどの特典があるそう。

とまあ、アカウント作ってから二日目、まともに使ったのはたった一日の体験ですが、Lang-8、なかなかよさそうな感じです。Duolingoと組み合わせると語学力アップに相当効き目のあるサービスかもしれません。


Lang-8の紹介動画(音声は英語)です。

2014年5月29日木曜日

フランス語と英語の定冠詞 Definite Articles in French and English

デュオリンゴ(Duolingo)を始めて、今日で31日目。当初はちょっとした置き換えパズルみたいな感覚だった仏英翻訳ですが、今ではこの二つの言語の違いをしみじみと感じるようになりました。

特に気になるのが定冠詞(definite articles)で、英語の"the"に対応する言葉がフランス語では実に4種類("le"、"la"、"l'"、"les")もあって、その使い分けに苦心する一方、どうやら定冠詞を使う場合というのは、英語よりフランス語の方が多い、ということが分かって来ました。つまり、仏英翻訳においては、定冠詞"le"と"la"と"l'"と"les"のいずれかを見かけたらとにかく"the"に置き換える、という方法ではだめで、仏文で定冠詞があっても、英文では使わない場合がかなりあります。

とまあ、デュオリンゴ式にとにかく実践でその違いを肌で感じていたところ、ある例文についての議論でも同じようなことが話題にのぼっていて、そこで引用されていたのが、About.comの次の文章。フランス語で定冠詞を使う場合が、英語と比較しつつ、表で分かりやすく解説されています。読んでみて頭がかなりすっきりしました。
French Definite Articles - About.com
ざっくり言うと、英語とフランス語、両者に共通して定冠詞を使うのは、特定の名詞(specific noun)、すなわち何を指しているかが相手にすぐわかる特定のものを指す場合。例えば、「私は銀行に行きます。」は、フランス語で

Je vais à la banque.

英語では、

I'm going to the bank.

となります。この場合の銀行(仏 banque、英 bank)は話者と聞き手、双方が知ってる銀行。

それに対して、フランス語では定冠詞をつけるのに、英語だとつけない場合というのは、名詞が一般的な意味で用いられる(used in a generic sense)場合。例えば、「私はアイスクリームとチョコレートとケーキが好きです。」は、フランス語で

J'aime la glace, le chocolat, et le gâteau.

英語では、

I like ice cream, chocolate, and cake.

となります。どんだけ甘いものが好きなの!?とつっこみたくなる例文ですが、それはさておき、もちろんここでの、アイスクリーム(仏 glace, 英 ice cream)、チョコレート(仏 chocolat, 英 chocolate)、ケーキ(仏 gâteau, 英 cake)はそれぞれ一般的なものを指します。なんだか英語の方が、定冠詞がある場合とない場合の区別がすっきりしてわかりやすい気が。

他にも、集団あるいは集合をあらわす名詞(groups of people or things)については、フランス語と英語で定冠詞の用法がことなります。例をあげると、「わたしは猫と犬が好きです。」は、まずフランス語で、

J'aime les chats et les chiens.

英語では、

I like cats and dogs.

となるそうです。ここでの猫(仏 chat, 英 cat)と犬(仏 chien, 英 dog)は見知らぬ猫や犬も含む猫全体、犬全体を指すと思われます。

とすると、フランス語では、特定の猫の集団と、一般的な猫の集団は同じく、"les chats"なの?という疑問も湧きますが、そもそも日本語では冠詞がなくてもなんとかなってるんだし、きっとそんなに困らないんでしょう。(って言ってると、文法的に正しいフランス語から遠ざかるのかもしれませんが…)

ところで、デュオリンゴの実践翻訳の課題文はWikipediaの文章が多いのですが、どうやらこのことも、フランス語の定冠詞をやたら眼にすることと関係なくもなさそう。というのは、フランス語では、日付などの時間、国などの場所、で定冠詞がやたらと使われるから。

About.comの解説で、なんだか英語とフランス語の定冠詞はばっちり!な気分にいったんはなったのですが、手元にある英文法の本、「英文法解説」に例外的用法がたくさん載っていて、再びわたしの頭の中は混沌としてきました。

まあ、言語は生き物だから、文法でそう簡単に説明できないよね…。でも文法を意識しつつ、その言語を使ってたら、何か見えてくること、あるのかも?


英文法解説

2014年5月27日火曜日

デュオリンゴで仏語英訳体験! experiencing translation from French into English with Duolingo!

語学学習サイト、デュオリンゴ(Duolingo)を始めて今日で29日目。がんばって続けてる、というより「はまってしまった」という感じです。

β版の日英コースのほうはひとまず置いておくことにして、現在はもっぱら英語話者のためのフランス語コースを攻略中。昨日、レベル10になったのですが、日英コースのレベル10とはかなり充実度が違います。やっぱりこの、とにかく翻訳課題(Real world practice)を大量にこなすという体験は言語的にも豊かで学習意欲も高まる気が。

しかも。デュオリンゴは単なる語学学習サイトではなくて、レッスンのための翻訳が、実は翻訳ボランティアにもなる、という仕組み。でもそんな、例えば私みたいに、ほんとは英語話者じゃない人が、たかだか500語とかのボキャブラリーしかないのに、文法書や辞書片手にえっちらおっちら訳した英文で役に立つの?という心配は無用。

実際に訳してみればわかることですが、ある人の翻訳文が単にそのまま最終稿になるわけでなくて、まず何人ものチェックが入る事になってます。良い悪いの判断はもちろん、別の翻訳例を提案したり、複数の翻訳例の中からベストだと思うものを選んだり、と、多くの人の手というか、チェックを通過したのちに、コミュニティとして翻訳確定とした文章が出来上がります。

で、ここがデュオリンゴのすごいところなのですが、同じ一つの文章をチェックする人の数がものすごく多い。「訳してはみたけど自信ないなあ」という文章には、たいてい次の日に修正案が届きます。しかもその修正してくれた人のフランス語レベル(&翻訳レベル)がものすごく高かったりするのでリスペクトしつつ「ありがとうございまーす!」と心の中で叫び、さらに学習意欲が高まるという好循環。

これがクラウドソーシング(crowdsourcing)ってやつなのか、というのはとにかくこの、フランス語の一文を通過する人の多さと速さとクオリティで実感するのでした。現在、わたしと同じく「英語から学ぶフランス語」をやってる人は実に906万人。パソコンやiphoneの前で淡々と課題をこなしてるわけですが、なんかこう、みんなで大きな(言語の?)壁をコツコツ壊してるような気が。作業してる時は一人なんだけど、次の日行ってみたら、散らかしたはずの石が片付けられてて、壁の高さもそういえば低くなってて、あ、ひとりじゃないんだ、みんなの作業だ、って実感するという、そんな感じでしょうか。

ところで、このコースをやってみて、私のフランス語、英語がどうなったかというと、まずフランス語にはすこし慣れてきた気がします。意味がわからなくても、文の構造が見えることがあって、臆する気持ちが減って来たといいますか。リスニングのほうはやっぱりまだまだ手強く、音がつながりまくるフランス語を分解するのがムズカシイ。でもフランス語は英語より文字と音の対応が規則的なので、音で綴りがわかることもしばしば。

一方の英語は、まだ感覚的に文法の正しさや文の美しさを感じるには到らず、でもそれを、他の人の訳例から頭で理解しようとしてるところ。そして改めて、wikipediaの英語の文章をしげしげと眺め、そのフォーマットと文例を読んでは訳出の参考にするようになりました。

そして当然ながら、仏英翻訳をやるには、仏英の辞書があると便利、なのですが手持ちのものがないので、MacOSについてる仏仏辞典に英英辞典をチェック、それを手持ちの英和、和英、仏和、和仏辞典と比べてえっちらおっちら訳してます。一応、オンライン辞書の、WordReference.Comには英仏、仏英辞典があって、簡単な調べものには便利ですが、これだけだと不十分。やっぱり一冊でいいから、仏英辞書、欲しいなあ、っていうか、ほんとはデュオリンゴに「日本語話者のためのフランス語」コース、あるといいんだけど…。

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デュオリンゴの日英コースを制覇? conquered the English for Japanese speaker course?

2014年5月21日水曜日

デュオリンゴの日英コースを制覇? conquered the English for Japanese speaker course?

語学学習サイト、デュオリンゴ(Duolingo)の日英コース、なんとなく続けてるうちに、とうとうスキルツリーの最後までたどり着いてしまいました。これがゲームなら最終ステージをクリア!ってことになるようで、一応トロフィーのようなものが登場。笑

この日英コースがβ版ということはさておき、ここまでで何が学べたかというと、英語の基本文法と基礎的語彙を使って翻訳と英作文をしまくる反射神経のようなものを鍛えたことになるのかもしれません。



ちなみに、このトロフィーのマークをクリックすると、次のようなメッセージが出て来ます。


「言葉の強さを満タンに」というのは全くそのとおりで、語学は使わないとどんどん忘れるし、反射神経もにぶりますが、デュオリンゴではトロフィーが出たあとでも時間がたつとどんどん「言葉の強さ」が減っていきます。

そしてこの「言葉の強さ」というのは、スキルツリーの課題とは別に、デュオリンゴ内での翻訳作業でも強まるようになっているようですが、残念ながら現在β版の日英コースでは翻訳課題がまだひとつしかなく、強めようがありません。これは待つしかないですね。

英仏コースだと、スキルツリーのかなり早い時期から次々と翻訳課題が降ってきます。課題文は今のところフランス語版ウィキペディアが中心で、それを英語に訳します。

といっても、文法はまだ現在形しかやってないし、語彙も500語くらいだし、よちよち歩きもいいところなのですが、それでも「あなたはこの記事の25%を訳せます!」という感じで課題文が紹介されるので、1文でも2文でも、辞書をひきながら翻訳、あるいは、他の人が既に訳した文章をチェックすることになります。

で、少しでも翻訳をすると、その同じ翻訳文を見た別の人が、それを評価したり、翻訳し直したりします。評価票が100以上となり、好評価票の割合が少なくとも90%になると、翻訳の段(tier)がひとつ上がることになるそう。また、他の人に翻訳文を直してもらうと、すぐに通知が来て、どこを直してもらったのかがよおくわかります。これは英作文の勉強にもなってなかなか面白いです。


思うに、デュオリンゴのスキルツリーはグロービッシュ(globish)にも似て、その言語の基本を学ぶのになかなかいいシステムだと思います。日英コースで学んだ単語数は現在1397語ですから、グロービッシュの1500語と近いところにあります。

基本を学んだ後はもっと話して聞いて書いて、読んで、どんどん慣れながらその言語の語彙を増やしていけばよいわけですが、デュオリンゴの場合はこの応用編を「翻訳」で体験するシステム。まだ日英コースではこの部分は整っていませんが、英仏コースの体験からすると、今後のデュオリンゴにはかなり期待できそうです。

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2014年5月15日木曜日

デュオリンゴに夢中。 I'm absorbed in Duolingo.



ここしばらくDuolingoという無料言語学習サイトにはまってます。言語学習は記憶に反復、地道にコツコツ筋トレするようなところがありますが、そこにゲーム性をうまく取り入れ、楽しく続けられるようにデザインされているシステム。よくできてるなあと、最初は使いながら惚れ惚れしてました。

そしてなんとなく続けて今日で17日目。もともとはフランス語学習がメインだったのですが、日本語で学ぶフランス語というコースはなかったので、英語で学ぶフランス語のコースを選択しました。

ちなみに英語話者のためには、たくさんのコースが用意されています。スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、に加え、ドイツ語、アイルランド語、ロシア語、トルコ語、ポーランド語、ハンガリー語、ルーマニア語が構築途中。英語さえある程度できれば、この先かなりの言葉をこのシステムで学べる!と夢がひろがります。




今のところ、日本語話者のためにはβ版の英語(アメリカ英語)コースがあるのみです。一応、こっちもやってみようと始めてみたところ、思いがけず、中の方々のがんばりを体感することとなりました。



デュオリンゴでは基本、二つの言語間の翻訳トレーニングをこれでもか、と繰り返します。日英間なら、英文和訳、和文英訳が基本。つまり、正解はひとつではないことがほとんどです。

たとえば上の例のように、"I am a woman."を日本語に訳すという単純な課題でも、「私は女です。」「わたしは女です。」「私は女性です。」「私は女。」「女です。」などなど、漢字仮名問題に、文体、主語の省略など、様々な翻訳例が考えられますが、現在β版である、日本語で学ぶアメリカ英語にはこうした自由度というか、正解とする翻訳例の数がまだまだ足りません。

というわけで現在のところこの日英コースでは、自分の答えが正しいはずなのに不正解になった!という場合は、画面左下にある「問題を報告する」をクリックして、「私の答えも正しいはずです。」をチェックしてください、となってます。


で、ある時から「いやこの答えは正解にしないとだめだと思う。」という場合に限り、この方法で問題を報告したところ、毎日のように中の方々のレスポンスが届くようになりました。毎日かなりの数届くのでこちらもやる気になって、たくさん翻訳例を報告するぞ♪とますますこの日英コースにはまることに。

で、時々英仏コースに戻ると、レベルのせいか、言語の特性なのか、わりと答えがすっきり決まる気持ちよさがあるのですが、もうちょっと説明が欲しいな、というときに、ひとつひとつの問題の下の「文章について話し合う」のところをみてみると、時には100を超える投稿というか議論がつくされた跡があって少しでも読んでみると勉強になるのでした。それにしても中の人、どれだけがんばってるんだろう、と、思いつつ。

2014年2月8日土曜日

多言語を学ぶ learning several languages

昨年前半はTOEIC対策な英語を、後半はゆるりとフランス語を勉強してみました。

で、今年はどうしようかな、語学を仕事につなげれたらいいな、と思っていたところ、その気持ちをそのままタイトルにした本を見つけたので読んでみました。猪浦道夫著『語学で身を立てる』です。

発行年は2003年なので、語学業界を知る本としては古いかなと思いますが、心構え的にはとてもよい本で学習意欲が湧きました。

さて。著者は語学力を活かした仕事をしていくための目標設定として、次の3つの職業分類を考え、自分がどれに該当するかを考えることから始めるように勧めています。

  1. 語学の専門家になる(スペシャリスト・コース)
  2. 会社に勤めて組織の中で語学力を武器にする(ビジネスマン・コース)
  3. 語学力を武器にして自分でビジネスを開く(企業家コース)

わたしの場合は現在、分類1の語学の専門家を志望。具体的には、翻訳家、通訳やガイド、語学教師の3つが代表的だそうですが、ライフスタイルや性格的なことを考えると、翻訳家がいちばん向いている気がしています。といっても、「翻訳でもやろうかと…」なんて軽い気持ちじゃだめだよ、と、繰り返しこの本には書いてあって、気がひきしまりました。

ところで、英語を勉強していても、フランス語をはじめとして他の言語も気になるわたし。まるで浮気をしてるような気持ちになったりすることもあるのですが、この著者はむしろそうした多言語アプローチをすすめています。特に英語を理解するためには、むしろそれが言語の基本を知ることになって、いいかも、なんて気にもなりました。
友人の英語の専門家B氏は英語を究めるため、英語の学習に役立つことならなんでも時間を惜しまず勉強しました。その結果、言語学的にいって世にも稀な折衷言語である英語を究めようと努力しているうち、皮肉なことに、英語の骨組みをなしているドイツ語、オランダ語(オランダ語は英語の直接の祖先となっている低地ドイツ語の現代語版で、現代低地ドイツ語といえる。現代ドイツ語は高地ドイツ語から来ている)、そして中世に大きな影響を与えた北欧語(特にデンマーク語とノルウェー語)、さらに英語の語彙の六十パーセントをもたらしたフランス語、学術語の背景になっているラテン語、ギリシャ語のほか、古代北欧語ともいえる現代アイスランド語、ついには、英語の詩を理解するには不可欠だといってアイルランド語やウェールズ語までかじることになり、結局、実質的には多言語学習型の人間になってしまっていたのでした。(p.74-75)
たしかに昨年、英語の語源を調べていると、フランス語やラテン語にいきあたることがしばしば。フランス語と英語はよく似ているので、同時にやると、頭の中がごちゃごちゃするのですが、今年はフランス語を真面目にやって、それを打破できればいいな、と思っています。

そして昨年はTOEIC対策という、英語を英語でざっくり理解する系の学習をしてみたのですが、今年はむしろ日本語を大事にして、英→日、日→英と、いったりきたりできる回路が頭の中にできるといいなあと。

あと、余力があれば、北欧語をやってみて、北欧語で書かれた編み物の本を読めるようになったらいいなあ、と夢想中。さてさてどこまで進めることやら、一年後の自分に期待!?笑

2013年10月6日日曜日

リヨンのネットカフェにて at an internet cafe in Lyon

近頃はよく、真珠のイヤリングをつけています。かなり前に母からもらったもので、約10年前、フランスのリヨンに滞在してた時もよくつけてました。

アクセサリーは自分を飾るものでもありますが、プレゼントされたものは時に、お守り的な役目を果たします。フランス語が流暢なわけでもないのに、ひとりであちこち動きまわって、初対面の人と話すこともたくさんあって、しかも面と向かって日本語を話す相手が全くいなかった当時のわたしにとって、母からのイヤリングは孤独をなぐさめてくれる何かでもありました。

と、大事につけていたイヤリングだったのですが、アパルトマンの近くのネットカフェで、ぽろっと真珠がとれてしまったことがあります。するとそれに気づいたカフェのマスターがなんと「なおしてあげるよ」と接着剤をとりだして、ちゃちゃっと器用に直してくれてしまい、嬉しいやら、ありがたいやら。もう心から"merci"な気持ちに。

それまではその場所に行っても、"bonjour! un café, s'il vous plaît."と"merci beaucoup."ぐらいしか話してなかったのが、そのことをきっかけにだだーっとマスターに話かけられるようになりました。しかし悲しいかなフランス語があんまり聴き取れないわたしはなんとなくしか話の内容が理解できず、無念。

この真珠のイヤリング、日本に帰ってきてからシルバーの部分をクリーニングをしていまだに使っています。たぶん、プレゼントされた時から数えると、通算で15年とか20年とかつけてるんじゃないかな?で、今はこれを眺めると、リヨンのネットカフェのマスターのことを思い出すのでした。残念ながら話はあんまりできなかったけど、イヤリングはあそこで一回修理されちゃったんだなあと。

そしてマスターの話を理解したかったのにわからなかったあの無念な感じ、今でもそしてこれからも、フランス語を学ぶ上でのいいモティベーションになってくれそう。

2013年10月3日木曜日

パリでは英語?それともフランス語? English or French, which language do you speak in Paris?

春と秋はNHKの語学番組の区切りの時期でもあって、新しい言語、はじめる方も多いのではないでしょうか?

わたしはといえば、秋の訪れとともにフランス語が気になり、ショコラのpodcastを聴いてみたり、NHKのテレビでフランス語を観てみたり、とゆるくはじめています。

フランスはこれまで計4ヶ月は滞在してたのに「英語もそこそこ通じるから英語でいいや…」と英語を話してくれる人には英語を話してもらってなんとか生活してました。約10年ほど前のことですが、一応、観光都市でもあるリヨンにいたので、それほど不便はなく、唯一困るのは食材の買い出しの時で、スーパーでラベルを見て食材を選んだり、マルシェで注文するときには事前にフランス語名を調べてメモを作ったりなどしていました。

そんな中、パリにも数回行ってみたのですが、さすが首都なだけあって、リヨン以上に英語が通じるし、日本人もいるし、ここだとフランス語要らないよね、という気持ちに。しかし、重要な待ち合わせの前に地下鉄を乗り間違え、急遽タクシーをつかまえて、「大急ぎでお願いします!」と運転手さんにも、何の迷いもなく英語で話しかけていたら、言われちゃいました。「せっかくフランスにいるんだから、フランス語を話しなさい。」

「えー、でもフランス語下手なんです!」と主張してみたのですが、なんだか運転手さんのペースにのせられて会話をフランス語にスイッチ。すると、あれれ、わたしフランス語話してるよ、ん、思ってたより話せるのかしら?という不思議な境地に。ちょっと恥ずかしそうに、その運転手さんはお子さんが実は北米に住んでる、なんていう話までしてくれて、あ、だからこの人は英語とフランス語のバランスが絶妙なんだなあ、と思ったのでした。

その時の行き先はフランスの日本大使館。パリの凱旋門近くにあります。凱旋門は有名な観光地だったりしますが、わたしにとってはあのタクシーの運転手さんと話をしてた時にみえた景色。以来、写真などで凱旋門をみるたびに、あの運転手さんのことを思い出して「フランスではフランス語で。」と思います。

フランスにもグローバル化の波が押し寄せて、以前よりも英語を話す人、きっと多くなってると思いますが、だからこそ、またフランスに行ったらすこしでもフランス語、話せたらいいな。

2013年9月21日土曜日

けれどもさんの思い出 a memoir of M. Keredomo

ひさびさの更新になります。この夏は机の上を離れてみて怒濤の体験をしました。能登のとあるカフェのお仕事をすこおしお手伝いさせていただいただけなのですが、わたしの中のふるさと探訪というか、ディスカバー・地元というか、なにかのスイッチが完全にオンになってしまい、そんな自分にふらふらになりました( -e-)

もともと文化が交わるような場所が好きなんだと思いますが、そのカフェはわたしにとってまさにそういう場所で、妙な引力にとまどいつつ、さらには夏の暑さが加わってオーバー・ヒート状態。秋の気配を感じる今、すこおし落ち着いてきましたが、もう淡々とTOEICの受験勉強をしてた頃には戻れなさそうです。

と、ローカルな集中力を使いはじめて、新聞やテレビの情報をほとんど頭にいれられない状態な中、気になっているのは、2015年(平成26年度末)に予定されている北陸新幹線の開業と2020年の東京オリンピック。何が起こるのかはわかりませんが、人の流れは相当変わるだろうし、そうなった時に必要とされるスキルってなんだろう、とぼんやり考えています。

そして今、なぜかしみじみと最近思い出すのは、わたしが小学生の時、うちにホームステイしていったフランス人のこと。かれこれ30年前とかになるのかな…。日本語が堪能で、かならず「けれどもー!」から話をはじめるその人のことを、わたしと弟は「けれどもさん」と呼んでいました。

本当は近所の別の家にホームステイするはずだった、けれどもさん。残念ながらそのご家族は彼とのコミュニケーションがうまくいかず、うちの母に助けを求め、そして急遽うちに滞在したようです。心の準備がなかったわたしと弟は、人見知りとはじめて見る西洋の人がこわくて、ほとんど彼と話せませんでした。

そう、けれどもさんは「日本語」を話していた、そこはなんとなく記憶に残ってます。でも母とけれどもさんのコミュニケーションもいまひとつだったようで、子供ながらにそれを感じたわたしは、けれどもさんのためにクレープを焼きました。で、けれどもさんはすごく喜んで食べてくれて、その笑顔が嬉しかった、かすかな記憶があります。

この遠い記憶から思うのは、日本に来る外国の人は「日本語」を話す可能性があるということ。もしかしたら今、オリンピック東京開催に向けて、日本語を学びはじめる外国の方がいるかもしれません。そして「日本語」だからこそ、コミュニケーションが難しく感じられることがあるかもしれないということ。母国語はやっぱり独特の響きを持つと思うので。

また、同時に、国際語というか、世界の共通語的何か、がますます重要になる気がします。現時点でわたしが気になるのは英語の進化形?である、plain EnglishやGlobish。あと個人的には何かとご縁があるフランス語を少々。

でもコミュニケーションはもちろん言語だけじゃないわけで。時には一枚の写真が、一杯の珈琲が、多くを語ること、あるんだろうなあ…。

追記: FBページ、作ってみました。内容についてはまだ試行錯誤中ですが、とりあえずブログを更新したら、FBでチェックできるようにしていく予定です。 https://www.facebook.com/studylanguagesathome

2013年7月13日土曜日

コーヒーは基本的人権? Is coffee a basic human right?

今週、フジテレビのドラマ、「Oh,My Dad!!」を観ていたら、「日本でも保留コーヒー(café sospeso, suspended coffee)があったらいいのに!でも、ちょっと難しいところもありそう」という場面がありました。

織田裕二演じる主人公、新海元一は、自分の研究と過去の栄光にしがみつくあまり、現実が見えず、奥さんに逃げられ、アパートを追い出され、研究室にしていた建物も取り壊しになり、小さな子供と一緒にホームレス生活に。

子供がドーナツを食べたがってもドーナツをお金はなく…。そんな状況で、昔の知り合いとドーナツ屋さんのところで出会ったのですが、自分の窮状を隠したまま、子供にジュースだけ頼みます。知人が多めにドーナツを頼んでいたので、子供はドーナツをおすそ分けしてもらうのでした。

さて。もし保留コーヒーのシステムをこのドーナツ屋さんが導入していて、保留中のコーヒーがある場合、お金がなくても子供がドーナツを注文したり、主人公がコーヒーを頼んで、知人と一緒にテーブルにつくことができます。が、実際、この状況(突然お金も住むところもなくなった)で、保留コーヒー(あるいはドーナツ)を知り合いの前で注文できるかというと、そもそもお金がないことを微妙に隠してるこの主人公の場合、難しそう。こんな状況こそ、保留コーヒーの出番な気もするのですが

一方、そういえば、お金はないけど、こうした飲食店で何か食べる、という場合、日本だと、「食べる分、そこで働く(例えば、皿洗い)」っていうのが定番かも、と、昨日、TBSの「なるようになるさ。」を観てて思いました。

オープン直前のカフェレストランのスタッフとして集まってきたのは、DVから逃げてきた主婦、家出女子、外へ出たくなった引きこもり、の3人。ホームレス直前な状況のこの3人を世話好きな主人公夫婦は住み込みで雇うことになりそう。

脚本は、橋田壽賀子氏のこのドラマ、渡る世間は鬼ばかり、じゃなくて、渡る世間に仏あり、な感じ。日本だとこんなふうに、困った状況の人を助けるなら助けるで、徹底的に関わりたくなるのかも。それが大変だから、困った状況を隠したり、見てみぬふりをするのかなあ、とも思いました。

保留コーヒーについて、The saltのEU Embraces 'Suspended Coffee': Pay It Forward With A Cup Of Joeを読んでいたら、こんな一節がありました。
The prepaid cup of coffee has become a symbol of grass-roots social solidarity at a time of mounting poverty in what, until recently, were affluent Western societies.

But now, back to Naples, where coffee is not a luxury but is considered, more or less, a basic human right.
コーヒーは贅沢じゃなくて、基本的人権というのは、日本では単純にはあてはまらない気がします。コーヒーという飲み物をみんなが飲む訳じゃないというのもありますが、なによりカフェ文化というのでしょうか、家でも職場でもない場の生活に占める位置づけや、カフェという場そのものの社会的成熟度のようなものが、ナポリや他のヨーロッパ諸国と日本ではかなり違っていそう。

ちなみに、この記事によると、保留コーヒーはスペインでは、Cafes Pendientes("pending coffees")、フランスでは、cafe en attente("waiting coffee")というそう。言葉が近いので、もっとストレートな訳語にしてもいいのに、ちょっとひねってあるところが面白いです。

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保留コーヒー、支える珈琲、カフェ・ソスペーゾ? suspended coffee

2013年6月3日月曜日

古代ローマの暦 Roman calender

3月はじまりの古代ローマの暦ってどんな暦だったのかな?当時の人々はどんな生活を送ってたんだろう?と気になったのですこし調べてみたら面白かったので紹介します。ある物事を表す言葉とそのことについての歴史ってリンクしてるんだなあと、しみじみする事例でした。

まず、古代ローマ最初の暦は、ロムルス暦(Calendar of Romulus)。紀元前753年にローマを建国したと考えられている王、ロムルス(Romulus)の名前にちなんでます。この暦はなんと、1年は10ヶ月で304日、年の初めは、春めいてきた日に王が新年を宣言するという、おおらかなものだったようです。

で、その10ヶ月の名前はというと、
  1. Martius
  2. Aprilis
  3. Maius
  4. Junius
  5. Quintilis
  6. Sextilis
  7. Septembris
  8. Octobris
  9. Novembris
  10. Decembris
です。ついにこのブログにもラテン語が登場!なのですが、お気づきのように、ここでもう、英語の3月から12月の表現にかなり似てます。そして、英語の"April"の語源とされる"Aprilis"は、この時点でもう登場。

その後、紀元前713年に、ロヌルスの次のローマ国王、ヌマ・ポンピウス(Numa Pompilius)が改暦を行い、ロムルス暦の10ヶ月に加え、"Januarius"と"Februarius"を追加。これで一年は12ヶ月、355日になりました。

さらにその後、紀元前45年1月1日に、ローマの政治家で軍人、文筆家でもあるユリウス・カエサル(Julius Caesar)が、改暦を実施。一年は平均365.25日に。と書くと、単純に暦の精度が上がってるように聞こえますが、実際には、政治的(宗教的?)理由で、暦がずれにずれたため、改暦を行わざるをえなかったよう。この暦はユリウス暦(Julian calendar)とよばれるそうです。

で、ユリウス暦がはじまった翌年に、"Quintilis"の月名を、ユリウスの名前にちなんで、"Julius"とよぶようになったそう。また、ローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(Augustus)は、この暦の運用上の誤りをただすため、数年間閏年を停止した後、紀元8年からは4年に1度、閏年を実施。このとき、"Sextilis"の月名を"Augustus"に変更。この時点で12ヶ月の名前は、
  • Januarius
  • Februarius
  • Martius
  • Aprilis
  • Maius
  • Junius
  • Julius
  • Augustus
  • Septembris
  • Octobris
  • Novembris
  • Decembris
となり、現在の英語の12ヶ月の名前の原型のようになってます。この後も月の名前を自分の名前と入れ替える国王がいたそうですが、それが現代まで継続せず、原型ともいえるこの形が英語の中に残ってるのが面白いところ。

ところで、新年がいつから"Januarius"はじまりになったのか、というのもなかなか混沌とした問題のようで、暦自体をとりいれても、新年はその地域の行事などにあわせて別の日に、と、この暦はある意味、おおらかというか、多様な使われ方をしていたよう。

最後に、ユリウス暦の12の月の名前(ラテン語)と、英語、フランス語の12の月の名前の対応を書いておきます。

ラテン語英語フランス語
JanuariusJanuaryjanvier
FebruariusFebruaryfévrier
MartiusMarchmars
AprilisAprilavril
MaiusMaymai
JuniusJunejuin
JuliusJulyjuillet
AugustusAugustaoût
SeptembrisSeptemberseptembre
OctobrisOctoberoctobre
NovembrisNovembernovembre
DecembrisDecemberdécembre

よく似てますね。言葉や国が変わっても、約2000年の時を経て月の名前にこんなに古代の名残があるなんて。特に、"Martius"など、古代ローマの神様にちなんだ名前の跡が、キリスト教を経ても残ってるというか、残されているのも面白いです。

そして、暦としては、ユリウス暦の改訂版というか、新暦であるグレゴリオ暦(Gregorian calendar)を取り入れた日本が現在、"January"や"janvier"の日本語訳をシンプルに「1月」としてる思い入れのなさというか、割り切り方も面白いのでした。

ちなみに、映画やドラマで暦の面白さを体感してみたい方には、韓国ドラマ『善徳女王』、日本の映画では『天地明察』がオススメです。どちらも、暦と権威の関係がよく描かれていて、当たり前がゆらいだ時の混乱がよくわかる物語でした。古代ローマはある意味、その混乱を鎮める方法を、かなり早い時期に会得した、その功績が現代にも続く文化(宗教的?)権威ともいえるのかもしれません。


善徳女王    天地明察

参考リンク
ローマ暦 - Wikipedia
ユリウス暦 - Wikipedia
古代ローマ- Wikipedia
Roman calendar - Wikipedia

関連記事
英語での12の月の語源 why does October mean the 10th month of a year, not the 8th?

2013年3月31日日曜日

洋画の原題と邦題 the original titles of foreign films, compared to their japanese versions

外国の映画の日本語タイトルは必ずしも、原題の日本語訳とは限りません。この記事ではわたしが最近みた映画を紹介しつつ、原題と邦題を比較してみようかと思います。

運動靴と赤い金魚 運動靴と赤い金魚(字幕版)

まずは昨日、itunesで観たばかりのイラン映画『運動靴と赤い金魚』。原題はペルシャ語で、"بچه‌های آسمان‎"だそうですが、ペルシャ語が全くわからない私にはこのままでは意味不明なため、Google翻訳にかけて日本語訳してみました。結果は「天国の子供たち」。で、この訳はどうなの?と念のため、この映画の英語タイトルをチェックしてみると、"Childeren of Heaven"、フランス語タイトルは"les enfants du ciel"となってますから、おそらく「天国の子供たち」が原題の直訳として妥当なのでは、と思われます。

でも。日本語で「天国の子供たち」なんて言ったら、子供たちが亡くなる話か、もう亡くなってしまった子供のお話を想像しますが、この映画の子供たちは元気です。いやむしろ、元気いっぱい、走り回りまわる、その姿、特に足元をカメラが追いかける、そんな映画。あ、イランも靴をぬぐ文化なんだなあ、と再確認する日本人は少なくないかも。そして池に金魚、しかも和金がいて、なかなかの役者ぶり。邦題のなかの「運動靴」はこの映画の重要アイテムですし、「赤い金魚」は異国であるイランをぐっと身近に感じさせてくれる存在。というわけで、この邦題は、「イラン映画観てみない?意外と日本と共通点あるんだよ、でちょっとなつかしい感じの映画なんだあ」と、誘ってくれてるような感じがして、とても好きです。

で、原題に戻ってみると、うーん、やっぱりわかりません。「子供たち」の映画ですが、「天国」のイメージが日本とイスラム・キリスト教圏(と、強引にまとめてみた)では違うのでしょうか。英語タイトルにある"heaven"には「たいへん幸せな状態」や「楽園」(by weblio)って意味もあるから、「幸せな子供たち」とか「楽園の子供たち」あたりが原題に込められた意味なのかな?あるいは、フランス語タイトルだと"ciel"ってなってますが、これは「空」「天国」(by 『クラウン仏和辞典』)という意味で…、ああ、これだとまた子供たちが亡くなってしまいます…。んー、ちょっと苦しいですが、"être au ciel"には口語で、「天にも昇る気持ちである、最高に幸せである」(by 『ロベール仏和大辞典』)という意味もあります。ここから推測して訳すと、英語とフランス語、ペルシャ語タイトルの意味するところは「幸せな子供たち」なのかも。たしかにこの映画、「幸せって何?」って考えさせる内容です。原題はストレートに映画のテーマを示してるのかもしれません。


『運動靴と赤い金魚』予告編


エリン・ブロコビッチ エリン・ブロコビッチ (字幕版)

さて、次の映画はhuluで観たアメリカ映画で、邦題が『エリン・ブロコビッチ』、原題は"Erin Brockovich"。英語をカタカナ化したパターンのタイトルといえばそれはそうなんですが、こうした人名の場合、"Erin"を「エリン」に、"Brockovich"を「ブロコビッチ」に訳した前例がある場合、それに従うのが結構大切かも。ちなみに、原題をGoogle翻訳さんにかけるとばっちりこの邦題にしてくれますが、逆に、邦題をGoogle翻訳さんで英訳しても、原題になります(!)が、こうしたことを可能にするためにも、外国人名の日本語カタカナ表記は一定のルールというか、用例の蓄積が必要といえそう。

ところで、人名がタイトルになってる場合って、その人物が実在のことが多いのかも。この映画の主人公は実在の人物で、映画にも登場します。環境汚染の告発という暗く深刻になってもおかしくない内容を、一人の女性の痛快なサクセス・ストーリーとして描いたお話です。残念ながらhuluでは英語字幕はでないのですが、英語スクリプトとその日本語解説をした本が、スクリーンプレイ社から出版されています。

エリン・ブロコビッチ (名作映画完全セリフ集―スクリーンプレイ・シリーズ)

英語での環境用語や法律用語を学ぶにもいい映画かもしれません。



地球にやさしい生活 地球にやさしい生活(字幕版)

次はitunesで観たアメリカのドキュメンタリー映画。邦題は『地球にやさしい生活』で、原題は"No Impact Man"です。"no"も"impact"も"man"も、日本人にとってはなじみ深い英単語すぎるというか、どれもカタカナ化すると日本語なりの意味を持っていますから、「ノーインパクトマン」なんてタイトルにしたら、インパクトがない男=印象が薄い男、なんて意味にとられるかも。が、これは家族の物語。

この映画の中には、"ecological impact(生態的影響)"という言葉がたくさん登場します。いわゆる「環境への影響」っていう場合にこの、"impact"っていう単語を使うんだ、ということを私はこの映画ではじめて知りました。ちなみに、『ロングマン英和辞典』で、この単語を調べてみると、w2(書き言葉でよく使われる2000語のうちのひとつ)に分類されていて、意味は
impact
  1. (出来事・状況などの)強い影響(力), インパクト
  2. 衝撃
  3. 衝突の瞬間
と、あります。つまり、「影響」という意味で使われることが最も多い単語で、この意味での用例として、紹介されているのが、
the impact of pollution on our climate 汚染が気候に及ぼす影響
と、たまたまかもしれませんが、環境問題関連の言葉。

この原題の日本語訳は、直訳だと「影響しない男」になりますが、映画の内容から考えると、"No Impact Man"の意味するところは、”No (Ecological) Impact Man”で、その直訳は「(環境に)影響しない男」なのかも。で、邦題は、"no ecological impact"のところを、「地球にやさしい」にして生かしたものと思われますが、このフレーズ、商品の宣伝などでよく耳にする、ちょっと浮ついた感じというか、表面的な感じもあるのが、この映画の場合は内容的にとてもしっくりきます。というのは、この映画の主人公とその家族は、特に環境問題に詳しいわけでもない普通のニュヨーカーたちで、環境負荷の少ない生活を1年、とにかくやってみる、と宣言して、やってみながら学ぶというか、はじめから妙に専門的になっていないから。

とまあ、自分もちょっと、家族と環境、「地球」のため?に、生活に工夫を、と思わせてくれる映画でした。そういう意味では社会的インパクトのある映画であり、生活実験なので、"a big social impact"って意味も含んだ原題なのかも…。


『地球にやさしい生活』予告編


関連リンク
運動靴と赤い金魚 - Wikipedia
エリン・ブロコビッチ (映画) - Wikipedia
地球にやさしい生活 - Wikipedia

2013年3月18日月曜日

『世界のグロービッシュ』 をちょっとだけ読んでみた。I read a little bit of "Globish The World Over".


以前からなにかと気になっているグロービッシュ、もうちょっと深入りしてみようかと、『世界のグロービッシュ ─1500語で通じる驚異の英語術』を読んでみることにしました。

この本の特徴は、グロービッシュについて「グロービッシュで」書かれた"Globish the World Over"の原文と日本語訳文の両方が読めること。まずは、グロービッシュを体験してみようと、なるべく原文で第2章まで読んでみたのですが、なかなか不思議な体験でした。

グロービッシュの単語は基本、1500語に限られているので辞書はいらないのですが、その分、意味がもわもわっとひろがりをもってしまったというか、意味が特定しにくい文章になってます。ちなみに日本語訳のほうは、語彙を制限してないので、そっちを読むと、もっとばしっと詳細に意味が定まるのでした。とまあ、ボキャブラリーが限られるとそういう短所もあるんだなあと、しみじみしてしまう文章。意味がわからないわけではないけど、ぼんやりしている、そんな感じです。

なので結局この本は日本語訳で読もうと思います…( -e-)『ロングマン英和辞典』によれば、約3000語で日常的英語の86%をカバーできるわけだし、無理して1500語にしなくても…、という気持ちにさえなったグロービッシュ読書体験でした。

第1章と第2章を読んだのですが、内容は興味深かったです。第1章のタイトルは「数多くの言葉(Many, Many languages)」。まず、現在の世界を昔と比較して、
100年前、世界といえば自分の国だったが、いまでは世界ははるかに広がっている。現在、ほとんどの人は地域の言語、つまり自国の公用語を使っている。現在、ほとんどの人は地域の言語、つまり自国の公用語を使っている。そして地球全体の人たちと、コミュニケーションをとることが必要になってきている。(p.11)
とありますが、たしかにそうかもしれません。インターネットを使ってると、地球全体とつながってるような錯覚がしますし、言葉さえ使えれば、と思う機会は多々。といっても、差し迫って他国の人とコミュニケーションをとる必要がある人ばかりではないと思いますが。

第1章、そしてこの本にとっても大事なデータはブリティッシュ・カウンシルの文書"English Next"のP.29にある次のデータ。

2004年に観光で国外へ旅行した人たちについて、旅行者の母語(公用語)と旅行先の母語(公用語)に基づき、”「国際コミュニケーション」においては「英語ネイティブ」はごく少数派である”ことを示すグラフです。

しかしこのグロービッシュ本では、「観光旅行(tourism)」という記述はなくて、単に「国際コミュニケーション(international communication)」についてのデータとなってるので、仕事上の会話や文書のやりとりも含まれてるのかしら?と思ったのは、わたしだけじゃないはず。このデータから、
国際的コミュニケーションのうち、アメリカ人とオーストラリア人など国が異なるとしても、英語のネイティブ・スピーカー同士で行われているものは、わずか4%である。つまり、英語による国際的なコミュニケーションの96%については、少なくとも1人の非ネイティブが関わっていることになる。(p.13)
と言ってしまうのは、ちょっと誤解を招くかも。でも世界中のあらゆるコミュニケーションにおいて、英語ネイティブ同士のコミュニケーションが多数派ではない、ことは容易に想像できますし、その一例としてこういうデータがでてくると、なるほどね、とは思います。

そして、トリビア的に面白かったのは、フランス語が1918年まで数百年もの間、ヨーロッパの上流階級の言葉(共通語)だった、というお話。ちなみに、この本の著者二人はフランス語圏の人です。フランス語のプライドを感じる一節。

さて、第二章はというと、世界共通語についての試みの例として、「エスペラント」を紹介しています。現在エスペラントを話せる人は約300万人だそうで、こうした人たちの中には、英語を使ってグロービッシュを非難する人もいるけど、非難するのに「英語」を使ってる時点で、エスペラントは機能していない、とばっさり。で、グロービッシュの出番だそうですが、どうなんだろう?

関連記事
グロービッシュって何? What is globish?
オバマさんの勝利演説とグロービッシュ。 Is Obama's victory speech close to globish?
グロービッシュ単語をロングマン英語コーパスで分析してみた。 An analysis of globish words with Longman's English corpus.



2013年2月9日土曜日

映画で語学。study languages with movies

大学の語学の授業のなかで今でも印象に残っているのが、映画『かくも長き不在(Une aussi longue absense)』を教材にしたフランス語の授業である。といっても、この授業でフランス語がすっかり身についた、というわけではなくて、むしろ映画一般に興味を持つようになった。また「英語を話せるようになりたい」と真剣に思うようになったとき、英会話や留学など実際に話してみる機会をもつ以外に映画を使うようになったのも、この授業の影響が大きい。

とにかくどんな授業だったかというと、まず宿題は、映画の脚本の一部を予習する(読んで理解してくる)こと。そして、授業では映画を字幕なしで観る。そして脚本の和訳を試み、先生の解説があり、理解が進んだところでまた映画を観る。その次の回も方法は同じで、同じように映画を観て、脚本を読んで、また映画を観る。

この授業の方法自体は特に目新しいことはない。すなわち、ある場面の会話を音や映像で体験し、その後内容を文章として理解、そしてまたその場面を観る。語学学習によくあるパターンである。でも映画をこんなに細切れにして丁寧に観る、しかも字幕なしで、というのはとても新鮮だった。

で、これを英語の独学に適用しようと思ったときわたしがやってみたのは、
  1. 気に入った映画は何度でも観る(聴く)。
  2. 映画の脚本を精読した後、何度も音読する。
だった。当時は映画と脚本の両方を教材として入手する、なんてことは当時はなかなかできなかったし、なにしろ独学なので、こういう方法にとどまったのだけれど、今はHuluなど便利なサービスがたくさんあるので、比較的簡単に映画を教材として使いやすいのでは、と思う。

とはいえ、この方法はやっぱり、映画好きの人におすすめだ。ちなみに、語学留学前にたっぷり映画を観たわたしは、留学先で映画好きの友達を見つけ、映画の話を楽しんだ。つまり、英語を話す道具というより、会話のネタとしてこの体験は役に立った。

今のわたしは、特に英語を話す必要もないし、そのためか、英会話の学習意欲はない。でも映画の会話をもっと深く味わえるようになれたらいいなあ、とは思う。そして、日本語字幕を読みながら、英語を聴き取って、自分ならどう訳すかなあ?なんて考えるのも結構好きである。また、聴き取れなかったときに、どんな表現だったんだろう?と辞書で調べてみたりすることもあるが、これはそれなりに語学学習になってるのかも。

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